車で回るセントマイケルズ・レイライン(9)新事実がわかってきたストーンヘンジ


いよいよ今回の旅のハイライトの一つストーンヘンジ(Stonehenge)です。セントマイケルズ・レイラインからは少し外れているとはいえ、あまりにも有名な巨石遺跡。絶対に見逃したくないので、旅の前半に予定を組み、9時半からという朝一番のビジット枠を、旅に出る前にサイトで予約していきました。枠は30分刻みで滞在時間に制限はありません。

A303を走っていく途中に、車からチラリとストーンヘンジが見えて、遠目にもすごい存在感だったので、巨石オタクのボルテージは一瞬にして急上昇!いよいよこれから間近で見られると思うとワクワクです。

着いた時はまだオープン前でパーキングはガラガラ。向こうに見えるのが、2013年にできたばかりのビジターセンター。ミュージアムや売店などが入ってます。チケットを見せて中に入るとその先に無料のバスが待っているので、そこから2.1km離れているヘンジまで、そのシャトルバスに乗って移動です(周囲の雰囲気を味わいたい人は歩いてもOK)。

バスを降りて少し歩くと
現れます。

まさに、これまで雑誌や、TVや、ネットや、ガイドブックや、あちこちでさんざんみてきた姿ですが、さすがに本物の存在感は圧倒的。

ロープが張られているので、すぐ近くには寄れませんが(最初の地点が一番近い)、周囲をぐるりと遠巻きに歩いて回ることができます。

現在の全体像(現地の表示を撮影)

ストーンヘンジは、ただ巨石がサークル状に並んでいるだけかと思いがちですが、配置はもう少し複雑。現在はかなりの部分がなくなったり崩れたりしているため、把握しにくくなってますが、完成当時の配置は下の図のようだったと考えられています。

完成時の推定配置

 

上の写真は反対方向から撮影されているので図とは左右が逆になっていますが、基本的な最終デザインは、まず一番外側に、30個の立石(メンヒル)とその上に水平に乗った横石(リンテル)からなる高さ5m、直径約33mのストーンサークル。その円陣のなかに、高さ7mの門型の組石(トリリトン)が5つ(原型をとどめているのは3つ)馬蹄形に並べられ、その中央にアルターストーン(祭壇石)という並びです。これらには灰白色のサーセン石が使われてます。また、サークルの内側には青っぽいブルーストーンを使った少し小さめのストーンサークルもぐるりと並んでいたようです。外環の横石は、つないだ時に全体が大きな円になるよう一つ一つが少し湾曲し、両端には凹凸をつけて、ジグソーパズルのように隣の石とぴったり結合されていました。このサネツギ(サネハギ)と呼ばれる手法は木工や建築によく使われるもので、横石と立石の固定にも使用されています。

トリリトンは、2つの立った石の上に1つの石が横向きに乗っているため、「3つの石から成る構造物」という意味でトリリトン(三石塔)。今は外側の巨石サークルのリンテルが残った部分との見分けがつきにくくなっていますが、5つのトリリトンは最初から門形で配置されていたのです。上の写真では真ん中がトリリトンで、左は外環の一部です。右の石もトリリトンの一部と思われますが、石は1つしか残っていません。でも、おかげで、上のリンテルと結合されていたサネツギ細工のボッチ部分(先端の突起)がよくわかりますね。

ヒールストーン
ヒールストーン

右の写真は、ストーンサークルから少し離れたアベニュー上にあるヒールストーン(高さは6.1m)。最初は直立していたものが、今は30°ほど傾斜。遺跡の中心から見ると、夏至にこの方向から太陽が昇り、中央の祭壇石に光があたります。また冬至にはこのラインの延長線上に日が沈みます。

ストーンヘンジを含むこの辺一帯の古代遺跡に関する認識は、近年急激に変化していて、ネットや書籍などで得られる情報も内容がかなり錯綜しています。2003〜2008年に行われた「ストーンヘンジ・リバーサイド・プロジェクト」やその後の研究で、多くの新しいことがわかり、これまでの定説のいくつかが覆されているためです。これからも先進科学分析で情報が塗り替えられる可能性は十分ありますが、現時点の最新データによると、この一帯では紀元前8000年頃から人が活動していた形跡があり、ストーンヘンジが作られ始めたのは紀元前3000頃(新石器時代)で、エジプトやメソポタミアで巨大文明が築かれ始める少し前のようです。

第1期の状況(現地の表示を撮影)

ここで注意しなければならないのは「ヘンジ」という言葉。考古学的には、石柱列のことではなく「内側に濠のある円形土塁」のことをいうそうです。ストーンヘンジの場合、直径100mほどの巨大パンケーキのようなヘンジの中央部分に巨石群が立っています。

建設プロセスとしては、まず丸い濠が掘られ、その内側に高い土手を盛ってヘンジが作られ、その縁に沿って内側に56個の穴(オーブリー・ホール)が開けられました。以前は、この穴にはまず木の柱が立てられたと考えられていましたが、近年の分析では最初からウェールズで採れたブルーストーン(1個約3トン)が立てられたことがわかっています。直径86mのより大きくシンプルなストーンサークルで、これが第1期です。また、初期のオーブリー・ホールは穴の直径が約1mあり、なかには火葬した遺骨が埋葬され、ブルーストーンは一種の墓標のような形で立っていたようです。これらの遺骨は25〜40歳くらいの比較的健康な成人男性だったことがわかったため、当時は男性中心の社会で特権階級の人々がここに埋葬されたのではないかと推察されています。

第2期の完成時(現地の表示を撮影)

土塁の中央部に今のような巨石を使ったセンターサークルやトリリトンなどが配置されたのは紀元前2500年頃。最初に土手が作られてから500年も後です。この時期にはエーヴベリーにほど近い32kmほど離れた採石場から合計2000トンにのぼる巨大なサーセン石が運び込まれました。

どうやって巨石を運んだかは今も謎

このためセンターサークルはサーセンサークルとも呼ばれますが、立石にはギリシャのパルテノン神殿にも見られるエンタシス(上に向かってわずかに細くなる建築様式)が用いられています。この時、第1期にオーブリー・ホールに埋め込まれていたブルーストーンはセンターサークルの内側に並べなおされます。これらのブルーストーンは、200km以上離れたプリセリの丘からわざわざ運んできたもので、非常に大きな意味を持つ石(パワーストーン?)だったようです。さらにこの時期にはストーンヘンジからエイボン川に続くアベニューと呼ばれる道も作られました。このアベニューの下には氷河期の終わりに地面の凍結と解凍が繰り返された結果できたひび割れによる自然のトレンチ(約200m)があることも最近になってわかり、それがたまたま夏至の日の出の方向とぴったり一致していたため、この場所が特別視され、ヘンジの場所として選ばれたのではないかと考えられています。周辺にはカーサスと呼ばれるストーンヘンジよりも古い約3kmの細長い溝などもあり、全ては何らかの意味をもってそこに構築され、ウッドヘンジやダゥーリントン・ウォールも含めた全体が巨大なシステムとして機能していたと思われます。これほどの時間と労力をかけて構築されたストーンヘンジも、完成してわずか数世紀後の紀元前1500年頃には放棄されていて、その理由はわかっていません。周辺の土のなかには、別のストーンサークルや多くの遺跡がまだ眠っていて、今も発掘や研究が続いています。

 


*電車でいく場合はソールズベリーで下車し、ストーンヘンジ行きのバスを利用。ロンドン発の日帰りツアーなども提供されています。

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