車で回るセントマイケルズ・レイライン(4)今もシェイクスピアに支えられているストラトフォード・アポン・エイボン


イギリスの文豪シェイクスピアは、劇作家としてロンドンで名を馳せましたが、彼が生まれ、育ち、晩年を過ごしたのは、ロンドンから160kmほど北西に位置するストラトフォード・アポン・エイヴォン(Stratford-upon-Avon)という街です。折しも2016年は彼の没後400年という大きな節目の年。世界各地で関連イベントが開催され、私が参加しているアメリカの合唱団もゆかりの曲ばかりを歌うコンサートをやりました。シェイクスピアの言葉の魔力には多くのコンポーザーも魅了されるようで、16世紀から現代に至るまで彼の詩にメロディをつけた多くの楽曲が生まれています。そんなご縁もあって、この年にイギリスにいくなら是非とも寄りたい街の一つでした。

家の入り口にあるペンが書かれた紋章
ドア上の紋章はペンがモチーフ

街のみどころは、ほとんどがシェイクスピア関係で、それで経済が成り立っているといっても過言ではないと思います。一人の偉人を輩出すれば、街全体が末代までも長く潤うという典型的なケースですね。観光スポットの中心となっているのが生家(頭の写真)で、詳しい場所を知らなくても人の流れについていけば行けてしまう感じです。通りでもひときわ目立つチューダー・スタイルで、当時の平民の家としてはかなり大きかったのではないでしょうか。皮手袋商人で羊毛仲買人だったお父さんの仕事場も兼ねていたとか。中は当時の様子が再現されているということですが、いかんせんクリスマス。この日はどこに行っても外から見ることしかできないのでした。

道にある道化像
通りには道化の像が

シェイクスピアの作品では、よく道化師が登場します。昔は社会のなかで特別な役割を果たしていたようで、作品のなかでも、身体的または精神的に欠陥がある人として描かれていて、こうした道化を寵愛する王の姿は、けっしてシェイクスピアの空想の産物ではなく、本当にヨーロッパの国王たちは、愚行や暴言をはく道化たちを多数召し抱えることを楽しみ、誇りにしていたようです。この辺の心理的状況は深いものがあり、人間の複雑な内面を表しているようで、興味深いところです。

橋のかかる川の水面にカモがいる風景
バンクロフト・ガーデン
レンガ作りの大きな建物
ロイアル・シェイクスピア劇場

生家から10分ほど車を走らせると、エイヴォン川のほとりにあるバンクロフト・ガーデンです。公園内にはシェイクスピア像や、彼の劇中登場人物の像などが設置されているほか、ロイアル・シェイクスピア劇場も隣接。ここでは、夏のあいだ連日シェイクスピア劇が上演されていて、シェイクスピア好きはたまらない体験ができる訳です。

シェイクスピアのニュープレイス
ニュープレイス

小さな町なので、公園の近くに車をパークして少し歩いてみました。シェイクスピアが晩年を過ごしたニュー・プレイスは、当時街で一番の豪邸だったとか。超売れっ子になって故郷に錦を飾ったって感じでしょうか。入れないので、ゲート越しに中を覗き込むのみ。生家に比べるとかなりグレードアップしている様子です。

ホーリー・トリニティ教会
ホーリー・トリニティ教会

彼が眠っているホーリー・トリニティ教会は川のほとりにあり、とてもいい雰囲気でした。亡くなったのは52歳なので、今の感覚だとまだまだ若かったのですね。

ツリーに巻かれたカラフルな手編みのパッチ

 

バンクロフト・ガーデンでも見かけたのですが、木の幹にカラフルな手編みのニットで巻きつけてありました。寒さから木を守ってあげているのでしょうか。可愛くて暖かそうでした。

 

 

 

大きな茅葺き屋根の家
アン・ハサウェイの実家

茅葺屋根がすてきなこの家は、シェイクスピアの妻アン・ハサウェイの実家で、街の中心部からは少し離れた静かな場所にあります。2人が結婚したのはシェイクスピアが18歳の時で、まだロンドンの劇壇で頭角をあらわす数年前のこと。当時26歳だったアンは妊娠3ヶ月で、できちゃった婚だったみたいです。シェイクスピアはこのお家にやってきて、アンのご両親に向かってちょっと申し訳なさそうに「お嬢さんをください」的なご挨拶をしたのかな。どんなに偉大な歴史的人物でも、彼らのふるさとに行ってみると、そこで生きていた時のことが想像されて、その人をより身近に感じられる気がします。ちなみにシェイクスピアは誕生日と命日が同じで、どちらも4月23日だといわれています。

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